前回→↓
sakana-sai-line.hatenablog.com
前回確かいわきで終わったので、今回はその先から書き散らします。
広野を発車し、J村なる駅を通過しています。動画のスクショだから傾いているのは気にしないでくれ
富岡駅手前。まだまだ工事は続きそうですが、着々と復興に近づいています
2020年に再開した区間に位置する双葉駅。双葉駅要素皆無ですが。
少し奥にて701系がお出迎え。初めて見た
相馬でひたちを乗り捨て、
駅前の「ふくしまや」さんでそばをeat。大変大変美味でございました
後続の普通列車でとある震災遺構へ向かいます。
東日本大震災で被害の大きかったエリアを走るこの車両には、一種の教訓とも呼べる案内がされています
そして到着 常磐線の坂元駅。日常ではない
「やまもと夢いちごの郷」からレンタサイクルを転がし、震災遺構の中浜小学校にやってきました。
東日本大震災の大津波による甚大な被害を後世に伝え、震災の風化防止と防災意識の向上を目的とし、児童や地域住民ら90人の命を守り抜いた中浜小学校を防災教育・震災伝承の場として一般公開しています。
震災遺構である中浜小学校には、震災発生当時の被害の様子がそのまま残っており、2020年9月26日から一般公開されています。
校舎の昇降口付近。画像には映っていませんが、壁にあるモニュメントの上部の高さまで津波が到達したようです。
倒れた時計。発生時刻の14時46分より少しずれていますが、倒れた反動でずれたのでしょうか…?
中に入り1階の多目的ホール。多目的ホールは吹き抜けになっていて、1階や2階からの物が柵を越え流れ込んできています。
2階から見るとこんな感じ。
2階の教室。椅子や机は先程のホールに流れ、可動式のパーティションだけが残されています。
教室の写真を撮影した向きから見て真左に位置する廊下。床のタイルや天井の照明などが散乱しています。
屋上へ。(写真ブレブレでごめんなさい)行事系等のものが散乱しているのは、児童や教員が校長の判断で屋上に避難した際、体育館にあった非常用毛布の持ち出しが出来ず、倉庫になっていた屋根裏の備品を活用し毛布代わりにして寒さを凌いだため。避難した90人は、寒さと余震に耐えながら一夜をここで過ごしました。
写真はありませんが、屋上は「三方を屋根裏の壁に囲まれ、一方は海にのぞむ」といった鎌倉幕府みたいなコの字の構造をしていたため、児童に津波の迫る様子を見せずに済んだ、とガイドの方の説明がありました。
【震災遺構 中浜小学校へのアクセス】
・車で
一般道 国道6号(312.4kp付近)坂元交差点から東に約5分
県道相馬亘理線 福島県境から北に約2分
・電車で
JR常磐線 坂元駅より徒歩 約25分(坂元駅前やまもと夢いちごの郷でレンタサイクルの取扱いもあります)
[所在地]
堅苦しくなりましたが、遺構として残っている貴重な場所です。是非。
キリがいいので今回はここで区切らせていただきます。
次回も気長にお待ちください〜〜〜〜〜〜〜
さいならっきょ!!